トラウマケアカウンセリングを受けることにしました
兼ねてよりの家庭内の問題で、長年苦しみながら耐えてきた性暴力がありました。性暴力に対する恐怖・フラッシュバック・心身症状もつらいもので、加害者である特定の男性のみならず、配送業者や引っ越し業者や、どこそこにいる男性自体も恐怖の対象となってしまいました。
凶暴性が、恐ろしくて、息が浅くなり、手足が震え、胃酸がこみ上げる感覚になり、立ち止まり、目を閉じるしかない。
日常生活にも支障があるので、加害者のいる家を離れ、子どもたちと私との暮らしを始めました。離婚前提の別居生活です。
ひと安心するも、やはり上述の「男性嫌悪」「男性恐怖」「男性憎悪」が生活に支障をきたしています。トラウマをケアしなければ、と考えています。
一度は男性から離れたものの、これから先の人生ではおそらく男性とも協業しなければならない場面も出てくるのだし、今が一番トラウマへの手当てが必要な段階です。
カウンセリングは受けられるだろうか。
主治医に相談し、かかりつけの精神科にてカウンセリングを受けられることになりました。主治医のすすめもあり「女性」のカウンセラーの予約枠を頂き、意外なほどにトントンと初回のカウンセリング日程が組まれました。
カウンセラーの手法としては「EMDR」。
EMDR(Eye Movement Desensitization and Reprocessing:眼球運動による脱感作と再処理法)は、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に対して、エビデンスのある心理療法です。さらに、他の精神科疾患、精神衛生の問題、身体的症状の治療にも、学術雑誌などに成功例がしっかり記述されています。
私のトラウマは私の身体そのものに生じたものなので、「脱感作」は重要なようです。
正直「眼球を動かす」ことでどうなるのか、脳神経の話しなのでなんとなくしか分かりません。カウンセラーの指示に素直に従ってカウンセリングを受けることにしました。
初回はヒアリングとEMDRの説明を受け、2回目から実際に目を動かしながらトラウマ記憶の脱感作をしていくことになります。
カウンセラーの指示に従い、一番つらい記憶を想起しながら、ただ目を動かし、深呼吸をして、ふと、
「これは右脳の自分が感じる恐怖を、左脳の自分が理性を以て宥めているようなものなのだろうか」と思い至り、
「自分が、自分を救おうとしている」と気づき、
そこからは涙が溢れて止まりませんでした。
男性の手でいいようにされ、断っても断っても不快な思いをさせられ、言葉でも傷つけられ、それでも生活のためには我慢をせねばならない。もう自分は救われないのだと思っていました。
救われることを諦め、この怒りと悲しみを原資に性暴力に立ち向かおうとしている自分がいました。しかし、やはり私は「救われたかった」のです。
救われたかった私を、もうあの不快な現実は遠のいたこと、これから救われるのだということ、それを教え諭す私がいるということ。
二人の私がお互いの手を取り、肩を抱き合い、抱きしめあう。私は悲しみ、泣く。もう一人の私は、それに優しい言葉をかける。
「もう大丈夫だよ」「ここは安全だよ」
「もうあいつはいないよ」
「傷つけられたのは今じゃない。過去のことなんだよ」
そうやって、悲しむ私は救われていく。もう大丈夫だよ、ここは安全だよ。もう一人の自分がかけた言葉を自分の言葉にしていく。
自分は「自分を救おう」としている。
救われないと絶望した自分を、もう一人の自分が助けていく。
カウンセラーの説明によれば「脳梁を通じて感覚の統合を行い、前頭葉の働きもそれを手伝います」ということ。左脳も前頭葉も、その他の脳の部位もが、自分を救おうとしているのだと。
究極の「自助」が自分の中にあったのだと発見し、もう涙が止まりませんでした。
しばらく泣かせてもらい、その涙が温かいことにまた心が震えました。
そうだったんだ。
…
カウンセラーの頭越しに見える青空の青の優しさ。漂う雲の白さ。
子どもたちは今何をしているかな。
「今」に目を向けることができました。
そのときの感覚に「過去」はありませんでした。
カウンセリングを受けるにつれ、身に染みついた過去の記憶をひとつひとつ手離していきます。
カウンセリングを受けることにしてよかった。悲しみや怒りを延々と心の中で燃やし続けることはない。「そういうことがあった」から今、行動する、そういう自分に、私はなれる。
自分を救おうとしている自分がいる。
それならば、思うままに私は自分を救おう。私は、自分を救おう。