トラウマケアカウンセリングを受けています。3回目のカウンセリング後メモ
カウンセラーの手法としては「EMDR」。
EMDR(Eye Movement Desensitization and Reprocessing:眼球運動による脱感作と再処理法)は、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に対して、エビデンスのある心理療法です。さらに、他の精神科疾患、精神衛生の問題、身体的症状の治療にも、学術雑誌などに成功例がしっかり記述されています。
私のトラウマは私の身体そのものに生じたものなので、「脱感作」は重要なようです。
正直「眼球を動かす」ことでどうなるのか、脳神経の話しなのでなんとなくしか分かりません。カウンセラーの指示に素直に従ってカウンセリングを受けることにしました。
カウンセリングを受けるにつれ、身に染みついた過去の記憶をひとつひとつ手離していきます。
カウンセリングを受けることにしてよかった。悲しみや怒りを延々と心の中で燃やし続けることはない。「そういうことがあった」から今、行動する、そういう自分に、私はなれる。
自分を救おうとしている自分がいる。
それならば、思うままに私は自分を救おう。私は、自分を救おう。
3回目でした。カウンセリング後の変化などの聞き取りをされ、
・相手方に対する怒りがあった
・怒りの感情をそのまま表出できた
・身体が震えた。怒りに震えるとはこういうことか、と実感した
「怒りの感情で、身体が反応したこと」これはとてもいいことで、
今まで理性で抑圧していた感情を上手く表出することができた、ということ。
感情の流れは自然に任せていいものだ。身体がその感情を教えてくれた。
とカウンセラーに教えてもらった。
今まで抑圧して自分の中に閉じ込めていた情動を解放することができるようになった、ということは理不尽な扱いに抗い、良いことは良いこととして感動の涙を流す。心と身体を同調させることが出来るようになってきた。
離婚協議の相手方との距離の取り方は上手くなってきたし、相手方との線を引くことも出来ている。これからはその態度を維持し、相手方に対して甘やかしや受容をしない、と明確に決めて行動すること、と整理がついた
話しは別のことに行き。。
上掲「抑圧」はやはり成育歴によるものだと感じた。
九州で女性として生きてきた。
男の三歩後ろを歩け。男を立てろ。学のある女は嫁にいけない。娘は親の傍にいるべきだ。
そういう価値観が蔓延る世界が全てだった。
私は教育を受けるうちに、そういう価値観を超えるものに出会い、そしてそこに飛び込もうと思って物理的にも九州を出た。上京して大学で学び、就職して更に多様な価値観を学んだ。そして「あの状況は異常なのだ」と改めて客観視できたのだった。
「異常な環境である」「でもそこで生きるしかなかった」「郷里自体は愛している」
そういう複雑な感情が絡まり合い続けているのが自分の人生なのかもしれない。
でも、その辺りの呪いはそろそろ解いたがいい。
これまでのヒトは「自分の主観で他者を抑圧する」ものだった。
しかしそれが害悪をもたらすものであると分かった。それぞれの個人を尊重するほうが、いい社会が築けると分かった。これからは「自分の軸で生きていく」ことができる。人と人との境界線を明確にするのがこれからの社会。
「私」はどうしたい、と常に問う。
おそらく義母を含むシニア女性は「離婚なんてしないであげて。夫くんが可哀想。もっと我慢はできないの?女性一人で子どもを育てるなんて無理でしょう。子どものためにも戻って」とご自分の主観に基づく意見を言ってくるだろう。
それでも私はもう「そんなん知らんがな」と言える。私を傷つける存在を大事にすることはできない。相手を思いやる必要なんてない。私はもう、子どもたちと生きていく。
他人の意見を受け入れながら生きていく自分の役目は、もう終わった。
と、考えて一息。深呼吸をする。不思議と心が落ち着き、決意が自分の中にスゥと入っていく。
トラウマケアの順序を踏めていると思った。
そして今回は「大学研究室で見舞われたセクシャルハラスメントとモラルハラスメント」の記憶の整理をお手伝いいただいた。
私は何故か研究室の先輩にタゲられ、性的関係を強要されたり、関係を断ると実験をさせないなど、理不尽な思いをたくさんさせられた。
私は成育歴でのスモールトラウマもあって、容姿や性格の良さもあって(自分で言う)、そういう理不尽な行いを受けやすいのだと。
いい人ほど理不尽な対応や環境を受け入れてしまう。私は「いい人」だからそうなってしまった。
恐怖の記憶がよみがえる。相手がニヤニヤしながら私の行く手を阻んで、強引に行為に及ぶ。所かまわず。でも人に見えないところで。怖い。心臓が痛いほどに動悸が始まる。息が浅くなる。フラッシュバックが起こる。
「辛いですが、今その状況を思い浮かべながら目を動かします」
カウンセラーの手の動きを目で追う。左脳と右脳が脳梁を解して統合し、前頭葉もそれを手伝う。「もうあれは過去だよ」「苦しいことはもうないよ」と、恐れ悲しむ私を癒す。
眼球動作(EM)が終わって深呼吸をする。
EMが終わって今感じることを聞かれた。まだ怖いです、と答えた。
深いトラウマのようです。本当につらかったのですね。辛いのですが、あなたは乗り越えることが出来ると思います。もういちどEMやってみましょう。
目を動かす。恐ろしい思い出の向こうに、明るく朗らかで、穏やかに接してくれた先輩の顔が浮かんだ。いつも明るく笑っていたFさん。Gさん。Gさんは助教からアカハラを受けてお辛かっただろう。Kさんはよくごはんに連れ出してくれた。すごくひげの濃いひとだったな。同期のJくんとUくんとはよく遊んだ。輪読会辛かったけど頑張ったね。今はどうしているんだろう。
深呼吸をする。
いかがでしょうか。
「研究室であった楽しいことを、思い出しました。明るくて朗らかで、優しくて、穏やかな仲間もいたんだ、と思い出しました」
温かい涙が溢れてきた。なんで私は忘れていたんだろう。楽しいことも、確かにあったのに。
「研究室にいた時の記憶」が恐怖の記憶ばかりではなく、良い思い出もあったのだ、あの頃は辛いだけではなかったのだ。セクハラとモラハラにはNoを言うこともできたし、良い仲間もいた。そういえば別の研究室の人とも仲良くなれたし、そのうち一人とは恋仲にもなった。
嫌な思い出は手離すことが出来た。良い思い出を取り戻した。
カウンセリング終わり。
カウンセリング後は主治医に会うことになっている。毎度「いかがでしたか」と問われ、私はずいぶんスッキリした顔をしているのだろう、いつも主治医は微笑んで「良かったです」と言ってくれる。感謝の言葉だけを述べて精神科医院を後にする。
医院を出た後は、雨の日でも晴れやかな気分になる。
私はまだ、前に進めるんだと思う。