産後うつかと思いきや双極性障害(Ⅱ型)でした。というわけで治療開始してもうだいぶ経ちました
気分障害の当事者がつらつらと書き連ねる治療の感想になります。
万人に通用する障害の乗り越え方や治療の進め方についての情報はありません。私がこうだった、という一つの事例でしかないことをまずお詫びいたします。
(せめてものお詫びの気持ちで)障害についてお知りになりたい方は、厚労省の情報をご参照ください。
また、かかりやすい精神科を受診し、お医者様とよくお話しになることで障害を受け容れ、人生を穏やかにすることがベストであると考えています。スピリチュアル系列、反現代医療に走ることなく、この障害と共に生きる道を探していただきたく思います。
今日お話しするのはこんなことです
希死念慮にまとわりつかれて
私はたいてい「躁鬱混合状態」で、どちらかというと鬱寄りの気分で毎日を過ごしています。いいことがあっても「はぁよかった」とほっこりする程度。鬱々の気分のときは軽躁のときの自分が「ほどほどにいきましょ」と声をかけてなんとか保っているような感じです。ただもう軽躁の時の自分の声も聞こえなくなるときがあります。希死念慮が出るときです。
デジタル大辞泉を引きますに、
死にたいと願うこと。
[補説]自殺願望と同義ともされるが、疾病や人間関係などの解決しがたい問題から逃れるために死を選択しようとする状態を「自殺願望」、具体的な理由はないが漠然と死を願う状態を「希死念慮」と使い分けることがある。
ぬくぬくの布団にくるまっていても、子どもを抱っこしていても、陽光の中を子どもと散歩していても、希死念慮が私の頭の中で「しにたい」「もう生きていたくない」「はやくいなくなりたい」と嵐を起こすのです。
外側から見れば、「あったかい布団にくるまってぬくぬく、よろしいなー」「お子さん抱っこしてて、幸せそうねー」「あらお天気のいい日にお散歩してる、ぽかぽか陽気だもんねー」と穏やかな風景でしょう。
それでも、その風景の中の私は希死念慮に取りつかれて暴れてしまいそうなのです
自分を止めるのに精いっぱい
希死念慮にとりつかれても、理性と知性が「今私がしんだら、子どもたちはどうすればいいのか。夫一人で子どもを育てられるわけがない。私はしねない。生きねばならない」と止めに来ます。この頭の中での抗争がまた辛い。
希死念慮には自責感や自罰感、無価値感も加勢していて「しにたい」の嵐を強くするのでした。というか自責感や自罰感、無価値感という双極性障害の「症状」が集まって固まって攻撃性を増したのが希死念慮なのかもしれないです。
以前は泣いて、寝て、時間が過ぎるのを待って抑えていました。今は別の不安症状の手当てとして処方された頓服薬を飲んだら強い希死念慮が消えていくと分かったので、自分で自分を止める労力が軽減されました。
アルプラゾラムばんざい。
慰めや励ましもつらい
身近な人から「しにたい」と言われたら、しなないで、私がかなしい、等心配すると思いますし、それを何度も言われたら「簡単にしぬなとか言うな」「あなたがしにたいと思っているその日は、誰かが生きたいと思っている日」等々、説教にもなっていきます。
だからもう現実世界では、医師以外の誰にも言わなくなりました。余計につらくなるので。
従兄の話し
私の従兄は数年前に自死してこの世を去りました。思慮深く活動的で、慕われている人でしたが、おそらく彼も双極性障害です。双極性障害は家族重積性のある疾患であるとのこと、「もしかしたらあの人も」と思い当たる親族が複数いて、彼もその一人です。
従兄もおそらく症状に苦しんでも「誰にも言わない」でいたのでしょう。彼の思慮深さゆえに、自分の言葉が周囲に与える影響も分かっていたのでしょう。一度でも、従兄とゆっくりと心の内を話し合えていたなら、そういう仲になれていたなら、もしかしたら今も、と考えます。
もう戻らぬ命と分かっておりますが、柔らに微笑む遺影を思い出すたびにそう思います
私の希死念慮は消えない
上掲、アルプラゾラムで激しい希死念慮は和らぐと書きました。そして第一治療薬のラミクタールは225mg/dを服用しておりまして、私は今の気分のステータスでちょうどいいと感じています。希死念慮は辛いけど、やり過ごせないものではないし、これ以上薬を増やすことでよくなるとも思えないからです。
逆に希死念慮があることで「子どもたちのために生きねば」と強く思います。だから一概に悪いものとは思っていないのです。
そういう患者もおりますよ、という双極性障害Ⅱ型の一例ということで、今日の希死念慮も「はい、どうもね」という感じに飼いならしていけたらなと思ってます。
こんな感じの朝ですが、
なるべく良い一日になりますように。