ほぼ黒ワンピース生活|双極性障害Ⅱ型の治療ログ

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子どもがいるからしんどいけれど、子どもがいるから生きていられる

産後うつかと思いきや双極性障害(Ⅱ型)でした。というわけで治療開始してもうだいぶ経ちました。子どもとの暮らしにフォーカスして考えます。

 

さて、私の双極性障害が分かったのは次女の産後。産後うつの疑いがあり受診して、下った診断が双極性障害でした。そういうわけで、私の双極性障害は育児の思い出とともにあります

 

今日お話しするのはこんなことです

 

 

子どもがいるからしんどいけれど、子どもがいるから生きていられる


私の子どもは二人。

長女、2015年生まれ。次女、2018年生まれ。

特に次女の産後の新生児訪問のときに受けたチェックで鬱の指摘があり、それが契機のひとつとして受診したのでした。そして双極性障害の治療が始まり、今に至ります。そういうわけで、私は次女のおかげで生き延びているとも言えます。

 

ただ、やはり育児はしんどいものです。肉体的にも精神的にも、人の手を借りてやっと。健常な人でもしんどいのだし、家族が増えるということは喜ばしい反面ストレス因子でもあるわけで、男女とも、ともすれば子どもも含めて精神面に影響する場合も少なくないです。

 

転居してしばらく、躁鬱混合状態が激烈で飛び降りしか頭にない日がありました。けども、ぐっと堪えて「今はもうベランダに出たらダメだ、電気代はかかるけど浴室乾燥にする」などの生活上の工夫で乗り切り、次の診察では病棟入院の相談もしよう、そう考えている矢先に「今週末は子どもら連れて俺の実家にいってくるよ」と夫が言ったのです。助かりました。子どもたちのいない週末、ケア責任がない時間、自分のためだけに過ごせる貴重な時間。

その時間を実際に過ごしてみて、子どもたちの邪魔は入らず料理にも時間をかけられるのに食事を作ることもせず、お風呂もいいや、もうお布団にくるまって寝よう、ぐだぐだとリフレッシュのつもりでぐちゃぐちゃの生活環境に身を置いてみたのですが、やってみると「マジ動けないわわたし」と驚くばかり。トイレに行くのもおっくうなので膀胱炎にもなりかけました。不健康すぎる。不衛生すぎる。けどそのステータスじゃないと精神状態の復旧は遠い。

 

その経験から思ったのは、朝は子どもに「ママーおなかすいたよーごはんつくってー」とゆさゆさ起こされてハイハイ、と応じてひとまず立ち上がり、カーテンを開けて、時計を見て、お湯を沸かして白湯を飲み、子どもに朝食を供し、出発時間に間に合うよう子どもに声をかけ、必要ならば学校まで付き添い、つまり「健康な人のスケジュール」に合う行動をして、もしかしてそれが健康体の維持につながっているのではないか、と。

 

子どもがいることは人生の張り合いでもあるし、「今はまだしんじゃだめ」と急に襲い来る希死念慮を撃退する呪文の根拠でもあります。

 

子どもがいるからしんどいけれど、子どもがいるから生きていられる。

 

何より私が今生きているのも次女を産んだ後に繋がった精神科ケアのおかげですし、もし私が「双極性障害だから結婚しない。子どもも産まない」とおひとりさまライフを選んでいたら、30を前に自死に及んでいたかもしれないです。

 

再掲、

子どもがいるからしんどいけれど、子どもがいるから生きていられる。

 

心配もあるけど

娘たちは心身ともに健全で、発達も定型通りです。彼女たち自体に心配事はないのですが、やはり「私が育てているから良くないのではないか」と思ってしまう気持ちも止まないものです。

自罰感とか無価値感とか、そういうネガティブな感情が沸いて止まらない、それも双極性障害の症状だと知りました。 *1 そのあたりはうまく付き合っていくとして。

 

彼女らが私という精神障害当事者の娘であるということは変えられません。ならば、適切な治療に巡り合えず長いこと鬱に苦しんだこと、専門的な知識を得ようとせず独りよがりに暮らして大損こいたこと、それらの私の経験を通じて得た「困ったら即専門家」の意識を彼女らの人生に活かそうと決めました。

今後もし彼女らに精神的なトラブルが生じたときに、すぐに話しを聞く、必要であればカウンセラーにつなぐ、更に必要であれば精神科や関係医療機関につなぐ、そういったアクションが取りやすいのが私です。あんな苦しい思いを彼女らに一分たりと味わってほしくないのです。専門家への連携については今やフッ軽という私の利点を活かそうと思います。

 

 

今日も夫と子どもたちは夫の実家に行っています。

子どもたちの嬌声が聞こえない家でやっと、私には子どもたちが必要なんだ、と深く実感した次第です。